昨日9月1日に完結したことで話題になった「100日後に食われるブタ」のことをご存じでしょうか。
ペットとして引き取られたブタ「カルビ」の日常を撮影した動画が毎日Youtubeにアップされるというものなのですが、他の動物系動画と違うのがその趣旨。カルビは最初から食べるために引き取られており、日が進むたびに日数のカウントも進んでいきます。この構造は、ちょっと前に話題になった100ワニに影響を受けたものでしょう。
もしまだ見たことが無い方がいれば、できれば100日目以外から見てみてください。100日目の動画は、サムネに調理済みの写真が使われていてエグいので・・・。
そしてこの100日後に食われるブタですが、完結した今ちょっとした騒ぎになっているようです。今回は、その騒ぎの原因を整理しつつ、問題の本質について考えたいと思います。
ペットを食べることの是非
まず初めに、「あんなに仲良くしてたかわいいペットを食べるなんて!」といっしょくたにして批判することに対して問題提起したいと思います。
例えば、「ペットを食べる」というシチュエーションを以下の表の通り場合分けします。
(ここでは鳥獣保護法や、「食べるのが気持ち悪い」という感情を無視し、あくまで「ペットとして飼育していた当該の生き物を食べた場合」について考えます。また、すべて適切な方法で屠殺するものとします。)
皆さんも、食べても許されると思うものに○、良くないと思うものに×、判断に困るものに△をつけるなどして遊んでみてください。
食べる動物 | 殺して食べる | 自然死したものを食べる |
---|---|---|
犬や猫 | ||
爬虫類、両生類(ヘビやカメ、カエルなど) | ||
虫 | ||
魚 | ||
家畜類(牛、豚、鶏) | ||
品種改良されペット化した家畜(ミニブタなど) | ||
狩猟対象となる野生鳥獣 | ||
狩猟対象とならない野生鳥獣 |
どうでしょうか。
全て命ある動物を食べるということには変わりありませんが、すべてに×をつけた人はヴィーガンくらいだと思います。
ペットとして飼っていたとしても、家畜動物を食べることに違和感を覚えない人は多いと思います。実際、ペット兼非常食としてニワトリを飼っていた家庭も昔は多かったと聞きます。
また、魚や虫、人によっては爬虫類や両生類など、人が高度な知能を持たないと判断した生き物やそもそも興味がない生き物については、殺して食べようと死んだものを食べようと「勝手にすれば・・・?」くらいに思う人も多そうです。
一方で、犬や猫を殺すのは論外、自然死しても人間と同じように燃やすか埋めるかすべき、と特別な感情を持つ人は多いことでしょう。
動物の種類によって人の考えは変わると思われる一方、わざわざ命を奪わず、自然死したものを食べるなら大丈夫という人は比較的多そうだと予想します。
法律上では問題があるのか
動物愛護法の基本原則に、以下のことが書かれています。
動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。
動物の愛護及び管理に関する法律
また、みだりに殺してはいけない愛護動物は、「牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる」と「前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの」と定義されています。
さらに、「動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない」とされており、実際、屠殺場では動物が苦しむ時間がほぼ無いような方法(意識を失わせるなど)で殺されています。
では、今回の100日後に食われるブタが愛護法違反になるかというと、実際に殺したかどうかはさておき、専門の業者に屠殺を依頼した描写があるため、違法にはならないと考えられます。
さらに、この企画には「『フードロスをなくそう』というメッセージを伝える」という目的があるとのことです。このことからも殺すことの妥当性は二重に用意されていると考えられます。
とりあえず、人道的な問題を抜きにして法律だけ見るなら、「ペットの豚を食べる」という行為自体は問題は無いようです。
なぜ賛否両論となったか
それも踏まえて、なぜ今回の「100日後に食われるブタ」が賛否両論となったのかを考えてみます。
・ペットとして飼育していたこと(食べるなら家畜として扱うべきという意見)
・一般的な食肉用の豚ではなく、ペットとして飼われるミニブタだったこと
・まだ寿命には程遠かったこと
・収益を得る目的があったと公言されていること
ただ、この3点目に関しては一般的な家畜の食用豚に関しても同じことが言えると思います。
さらに、4点目によって「フードロスをなくす」という目的が失われるわけではありません。やり方は違えど、命を扱って収益を得るYoutuberなどの配信者は多くいますからね。
私が農学部にいたときの経験
ここで唐突に自分語りをします。プロフィールに生物系大学卒と書いている私ですが、実をいうと農学部を出ています。私自身はバイテク系学科だったので直接的に家畜と関わることはありませんでしたが、それでも大学敷地内には家畜がいますし、なんなら学園祭では学生が育てた牛肉がふるまわれます。そして家畜を育てるような研究室に進む友人もいました。
そんな中思ったのは、やはり家畜といえど時間を共にすれば情は移ってしまうということ。最初から食べる目的で飼育しているとはいえ、「かわいそう」と話す学生はいた記憶があります。
学生時代、特に印象に残っていた友人がいます。ここでは仮にA君とします。A君はアイガモが大好きでしたが、その「好き」は、「愛玩動物としての好き」と「食肉としての好き」の両方でした。
「可愛すぎて食べられない」という価値観の人も多い世の中で、「可愛い」「美味しそう」「食べたい」という感情が両立している彼を見て、かっこいいな、と思いました。
案外、家畜動物とペットって区別しすぎない方がいいかもしれませんよ。
話は変わりますが、「かわいい」という言葉は「かわいそう」という言葉が由来であるという説があります。つまり「かわいい」とは「あんなに弱くてかわいそう」という言葉が転じたものであると言えます。思えば、自分より強いものにかわいいという言葉を使う機会はあまりありません。
タイマンで戦えば殺されるような生き物に対して「かわいい」という言葉が出る機会も昨今は多いと思いますが、それはあくまで檻の向こうの生き物に対する感想であり、ライオンの檻にいきなり放り込まれた人間は、たとえそのライオンが敵意を示さずくつろいでいたとしても、感じるのは「かわいい」ではなく純粋な恐怖でしょう。
そのため、「かわいい」という言葉自体が人間のエゴなのではないかと私は考えます。
自分が批判するのはエゴだと自覚している人。そんな人の批判は強いと思います。
一方で、「かわいい」がエゴだと気付かずにやいやい言っている人たちは、これを機に人間と動物の在り方について考えるべきではないでしょうか。
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